±8788(プラマイはちななはちはち)

ネパール在住のワタクシが、ほぼ7年ぶりに更新を始めます・・・。

インド音楽開眼 〜ドゥルパド記念日〜 その5

(つづき)

さてその上(まだあんのかいっっ?!)、今度はリズムの問題がある。「線」の音階、楽典というか文法的な「ラーガ」と来て、その上まだ、リズムがある、というのである。

しかもワタクシたちがよく知る、2拍子、だとか、4分の4拍子、だとかいった生やさしいものではない、インド音楽の代表的な拍子(ターラ)には、

16拍子 (は?)
12拍子 (あ、う、え゛?)
10拍子 (な・・・!え゛え゛?)
 7拍子 (・・・)
 6拍子 (知らん。もう、知らんけんね)

が、あるというのである。続きを読む

インド音楽開眼 〜ドゥルパド記念日〜 その4

(つづき)

さて想さんによれば、インドでは趣味というか、たしなみとして、ドゥルパドをやる人もたくさんいらっしゃるのだとか。

ワタクシの小さい頃に、ばあちゃんが謡(うたい)だ、踊りだといって出かけていたが、おおざっぱにはそれに近く、しかしさらに伝統音楽を忠実に学ぼうとしているのだろう、時に、聴衆の方が演者より上だったりするのだそうである。

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インド音楽開眼 〜ドゥルパド記念日〜 その3

(つづき)

恥ずかしながら、この「音絵画」的な世界を体験し、脳内・体内ともにトロトロに溶けてから後、やっと、想さんが講義のときにおっしゃっていた、

「インド音階は切れ目がない」

という意味が、腑に落ちたのであった。

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インド音楽開眼 〜ドゥルパド記念日〜 その2

(つづき)

想さん曰く、タンプーラなくして、南西アジア伝統音楽なし。タンプーラの音を絶えず意識して聴いておかずして、声楽者や演奏家の本質は決してわからない、ということであった。

想さんの楽隊の構成は、「パカーワジ」という太鼓とタンプーラ2台、そして声楽家2名、というものであったが(声楽家2名がタンプーラを奏でるので、3名構成)、西洋音楽になれているワタクシ、どうしてもその時に歌っている(というとこれまた想さんに叱られるのであるが)想さんなり、もう一名の声楽家(ビシャールバッタライ)なりに、耳が、意識が、集中してしまうのである。

これは、もう、仕方のないことで(と思うよワタクシは。とほほ)、幼い頃から「伴奏」のある音楽に親しんできた我々現代人、

「ヴォーカル」

なり、

「楽器」

なり、

とにかく、主旋律(メロディ)を奏でている媒体の発する音を「主」、それ以外は「従」「伴奏」として無意識のうちに聞き分けるクセが付いてしまっているのである。それはそうだ、アイドルがここぞとばかりに歌っている声や歌詞を、後ろで演奏しているバックバンドのオッサン達の音と同レベルで聴いていたのでは、少なくとも我々にとっては音楽では、ないのである。

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インド音楽開眼 〜ドゥルパド記念日〜 その1

不覚にも、40年以上生きてきて、というか、小学生の時にギターを始めた時に音楽をやり始めた、と計算して(甘やかして)みても、30年以上は、知らなかったのである。何をって、タイトルにある、インド音楽を。

モチロン、ザキールフセイン始め、天才インド系ミュージシャンの音楽は、純インド音楽であれ、毛唐とのコラボであれ、聞いたことは、あった。あったさ、そりゃあ。

あの、なんとも言えない不思議な雰囲気の音の空間で繰り広げられる、繰り広げられる・・・、うー、あー、アレはなんと表現したら良いのか(と昔は思っていた、というオハナシ)、なんかこう、いかにもアヤシげな、瞑想のためにといえば瞑想のためにあるような、あの、ちょっとけだるいカンジの音楽。

と、フツーはそういうカンジじゃあ、ないっすか、インド音楽って。

だが。

しかし。

昨年、知る人ぞ知る井上想さんの解説付きのドゥルパド講座を受けて以来、ワタクシの人生に大きなタノシミが一つ増えたのである。

まさにインド音楽開眼、ドゥルパド記念日が、やってきたのであった。

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ネパール大地震 3日目 その15

(つづき)

受容と寛容がネパールの人々を理解する上でとても大事なキーワードだ、と思っているワタクシであるが、これが、いつもいつも良い方向に働くとは限らないのが、世の難しいところ。

これを書いている今現在、ネパールでは、小政党といわれる団体によるバンダ(ゼネスト)やジュルス(デモ行進)が頻発しているのであるが、

「観光客のみなさん、戻って来て!」

と言っているにもかかわらず、あちらこちらで突然発生する交通妨害、これに対して大規模な抗議行動が起きた、というようなハナシを、最近、とん、と、聞かない。

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ネパール大地震 3日目 その14

スミマセン、書きかけがアップされてしまいました。リロードします。


(つづき)

「あちらの世界で幸せに生きていく」

ごく自然にそう思ったのであるが、なるほどアジアの知恵というのはこういうことだ。ヒトは死ぬのではなく、次の人生に入るのだ、と考える、知識としては十分すぎるほど知ってはいたが、否、知っているつもりになっていたが、圧倒的な数の火葬を目の当たりにしていると、そう思うことが心の安定に繋がるのだろうと、素直に思える。

キリスト教やユダヤ教では、個人は故人になっても、再度肉体に戻る、と考えるので、基本的に遺体を残す土葬を行うが、仏教やヒンズー教では、肉体は霊魂の容れ物に過ぎず、霊魂が肉体やこの世に未練を残すことを避けるために、むしろ早々に火葬するのだ(そしてそれは、早ければ早いほど良い)、という説を聞いたことがあるが、まさに東西の宗教観の違いというものである。

個人と神が契約し、キリストの「復活祭」まで宗教行事として設けているキリスト教と、開祖・釈迦をも火葬し、霊魂は我々の目に見えない世界(梵)に帰って行き、また新しい生を生きる、と考えるヒンズー・仏教の世界観の違いが、端的に垣間見える風習の違いである。

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ネパール大地震 3日目 その13

(つづき)

そろりそろりと、ゴウサラの交差点から東へ下る道を降り進んでいくと、それまでほとんど気にならなかったというのに、下りきったあたりには数多くのクルマ、バイク、行き交うひとびとが集まり、ちょっとした渋滞を形成していた。

むろん、道行くヒトは全員が北に向かって合掌し、卍を切り、車中のひとびとも同じように、クルマの中から、あるいは身を乗り出して、悲しみの面持ちで通過してゆく。

じ、っ、とたたずんだまま、微動だにしない方もいらっしゃる。

正直、野次馬根性と言われても仕方が無い街中視察が目的のワタクシ、橋の手前で一瞬止まり、それ以上進むのを躊躇した。


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