±8788(プラマイはちななはちはち)

ネパール在住のワタクシが、ほぼ7年ぶりに更新を始めます・・・。

ネパール大地震 3日目 その12

(つづき)

拡幅作業をやっている最中は、確かにホコリがひどく、あちらこちらに資材が積まれて通行止めになっていることもしょっちゅうで、これがまた予告やなんかせず、走っているクルマなんてお構いなくやるものだから、ただでさえ狭いカトマンズの路地を、資材が置かれてない、重機も働いてない道を、一生懸命迷路のように走って、やっと目の前に表通り・・・と思ったら、すぐ手前が掘り返されたまま放置、みたいなことが頻繁に起きていて、さんざん走らされたあげくに目の前に出現した穴の手前でクルマを止めて(しかも向こうには目指す表通りが見えている)、

てめえ、いいかげんにしろよ

と、いろんな人の心の中で殺意が芽生えていたのが記憶に新しい(ウソつけ!)。

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ネパール大地震 3日目 その11

(つづき)

と、まあ、ここまで読んで頂いて、

「いや、自分ならこういう方法で道路拡幅を成功させただろう!」

と言い切れる方がいらっしゃったら、ぜひ、お目にかかりたい。

複雑な埋設物、それぞれの組織体の内部のヒエラルキー、組織体と組織体同士のヒエラルキー、星の動きで決まる祭事催事の数々、絡み合う利権、不法居住者によるバンダとジュルス、これらを解決するための人員配置と予算の獲得、高まるSAARCの圧力、その他もろもろ、もう、ワタクシなら、絶対に、ムリである。

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ネパール大地震 3日目 その10

(つづき)

それはまあ、何十年も前にやった水道、電話その他のインフラ、その後に家屋の新築があったり、取り壊しての建て直しがあったり、新しくパイプや電話線を敷設しなおしたり、いろんな過程で、だんだんわからなくなる、というのは、理解できなくも、ない。

あるいはまた、実務組の技術者は別として、各インフラ事業者の幹部クラスというのは、あちらこちら転勤があり、時には事業者間での人事交流などで、NEAの人が電話公社に来てたり、水道局の人がNEAに来てたり、といったケースもあるから、だんだんと、埋設物情報が拡散し、雲散し、霧消していくのも、やむを得ない側面も、ある。

はたまた、前述した「共同溝」的システムがないので、水、電気、電話、下水、光ファイバーその他、埋設物ごとに違うチームがいちいち掘り返して埋めるもので、横断的な情報がない、というのも実状である。

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ネパール大地震 3日目 その9

(つづき)

日本でも昔、手当たり次第に公的インフララインを地中に埋めこんでおいて、後になって道路移設したり拡張したりする時にものすごい苦労をした経験があり、それゆえに、現在では幹線道路の下に「共同溝」と呼ばれる、文字通り、電話も上水も下水も、ありとあらゆる公的インフラをまとめて通す空間を設けるようになっているが、ここネパールでは、そんなもん、発想すら、ないのである(知っている人は、居る)。

電気については、まだ、空中にほとんどの線が見えている(目視可能だ)から、なんとかなるのだが、電話、(上)水道、下水道等は、たいがい地中に埋められていて、各担当官庁や担当事務所に伺っても、これらがどこに埋まっているか、わからない、記録図面もない(あるいはどこにあるかわからない)というのだから、ほとんど地雷の世界である(いや、ふざけるつもりは、ない。真面目なハナシ)。


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ネパール大地震 3日目 その8

各位
スミマセン、またリンクをまちがえてました。失礼しました。


(つづき)

それにしても、と、走りながら思いを馳せる。

カトマンズ盆地の道路拡張、やっている最中は非常に評判が悪かった。やれ、朝一番で道路いっぱいに材料となる土が盛られ、クルマが通れない、だの、それ、道路の工事をやりかけのまま放り出して、いつまでたってもやらないものだから、土ボコリがヒドい、だの、まあ、実際その通りなので、その辺の不手際を擁護する気は一切ないが、仕事をやりきって、かなり快適な走行ができるようになった今だから、施工従事者の名誉のために、書いておこう。


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ネパール大地震 3日目 その7

(つづき)

ゴウサラの交差点までは軽い登りであるが、これを超えると空港まで、快適な下り道となり、自転車にとっては爽快なルートである。

その道を駆け下る前に、一旦交差点を右折して、得意先であり、ワタクシを応援してくれる知人の職場でもあるドゥワリカホテルの様子を見るために、寄り道をした。

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ネパール大地震 3日目 その6

(つづき)

ローンの導入による急激なバイクとクルマの増大が始まり、ことここに至って、カトマンズの良識派と国際援助関係者を中心に、これはいよいよ道路拡幅が必要だ、という声が高まった。

時の政権やカトマンズ市長が、いくどか道路拡幅の実施を試みたのであるが、その都度、家屋の所有者や近隣住民、利害関係者、およびこれを喧伝するマスコミ等によって、反対キャンペーンが巻き起こり、バンダやジュルス、果ては担当官庁や市庁舎への直接的暴力的抗議行動等が発生して、何度やっても完全実行に移されることななく、これを継続的にやることは不可能だ、と思われていたのであった。

ところが、2002年に続いて2013年のSAARCサミットにもホスト国として名乗りを上げていたネパールは、インフラ整備が間に合わないとして開催時期の延期を申し入れたのであるが、これに対して、サミット首脳から、

「あんな政情不安な状態で、SAARCサミットなんて、ムリに決まってるでしょ!第一、あの狭い道だらけのカトマンズで、こないだみたいな渋滞だらけ、遅延だらけの会合、まっぴらゴメンだね。サイテーでも、道路くらいは、ちゃんとしてくれなきゃね」

と見下されて、バブラムバッタライのハートに火が点いたのであった。

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ネパール大地震 3日目 その5

(つづき)

さて、タメルを後にして空港まで、以前であれば結構狭い道をえっちらおっちら、だったのだが、SAARC実現に心血を注いだバッタライ首相の「カトマンズ盆地内道路拡幅整備事業」のおかげで、ヤク&イエティホテルの裏からまっすぐ空港へ向かう道路が大幅に広くなり、かつ、簡易舗装の実施によってでこぼこ状態も解消され、今日みたいな交通量の少なさだと、ほとんど貸し切りサーキットのような快適さである。あまりに快適で、つい、鼻歌がでそうになるほどだが、サスガにそれは不謹慎に思えて、だまって黙々とペダルを漕ぐ。

タメルから空港へ向かうルートはいくつか考えられるが、このルートを取ったのは、リッチな観光客の定宿であり、ワタクシの得意先ともなっている、ドゥワリカホテルの状況を見ておきたかったこともあったが、最大の理由は、ゴウサラの交差点を抜け、空港に走るリングロードラインから伺えるであろう、パシュパティナートの状況を見ておきたかったからでもある。

貸し切り状態の、スバラしく走りやすくなった道路を、いろんな想像をしながらひたすら進んだ。続きを読む
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