±8788(プラマイはちななはちはち)

ネパール在住のワタクシが、ほぼ7年ぶりに更新を始めます・・・。

ネパール大地震 2日目 その16

(つづき)

ワタクシがネパールに初めて来たのは2001年2月のことである。

「ワタクシ、悪いけどネパール行ってくれ」

という課長からの「赴任内示」がきっかけ、である。
(この話、前書いたんだけどいつだっけ???)

続きを読む

ネパール大地震 2日目 その15

(つづき)

そんな風にして、いくつかの頼みの綱を回って明日以降の緊急避難的シェルターを確保し終えたワタクシ、もう、日も暮れようとしているので、自宅に戻ることとした。

ペダルをゆっくり踏み込みながら、

電気、ないんだよな〜〜〜、たぶんな〜〜〜・・・・・

と思いを巡らせつつ、ちっともわかってない飼い犬の居る我が家へたどり着いた。


続きを読む

ネパール大地震 2日目 その14

(つづき)

ゲートを出たところで、ケータイを充電してないことに気がついた。引き返して電気を頂き、iphoneとiPadを充電する。出てきたばかりだったので、給仕作業のみんなの目につかないところでやっていたら、顔見知りの在住者が一行でやってきた。

自宅が被災し、近所の避難所に逃げ込んだらしいが、インド人が主体だったその避難所、インド政府が大挙して飛ばした救援機に「タダで乗れる!」と聞いた途端に一目散に空港へ殺到し(笑)、避難所には大人の男がほとんど残らず、そうなると女性と子供で避難していたその方々、急に心細くなって、大使館ホールへ避難してきたとのことであった。


続きを読む

ネパール大地震 2日目 その13

(つづき)

さてそのうちに、おにぎりと焼きそばが出来上がり始めた。

Kくんは先ほどから、

「あ゛あ゛〜〜!しゃもじ 忘れた・・・!」
「う゛っっわ゛、キレイなタオル、終わってもうた!」
「最悪や!ソース足りひんかも・・・」

などと、一人でぶつぶつ(静かに)パニクりながらも(笑)、「タマゴ堅焼きの焼きそばあと2つ!」「おにぎりあと3つ追加です」と次々と(容赦なく)注文を通すワタクシに、「ういす」「ういす」(・・・笑、意味わからん・・・)と答えて、次々におにぎりを握っていく。

続きを読む

ネパール大地震 2日目 その12

(つづき)

給食準備、と言ったって、店は閉まったまま、徒歩15〜20分くらいの自宅にあるものをかき集め、足りないモノは「ジョティシ(占星術師)の地震予報」に怯えながら、かろうじて店を開けているところから買い集め、コンロもナベも、包丁ですらも、自宅のものを持ち込んで応急でやっているわけであるから、まあ、バタバタである。

水は大使館内で分けてもらえることになったのだが、これとてセキュリティの問題があるので、自由に出入りする、というわけにはいかず、都度、

「スミマセン、水です・・・」

と電話をして、中でこちらもバッッッッッッタバタでやってる館員の方々に(いちいち)開けてもらう、という、中にも外にも、なかなかストレスフルな状態での調理開始となっていた(外にも水道はあるが、飲料にはキビシイ)。

続きを読む

ネパール大地震 2日目 その11

(つづく)

あのさあ、ワタクシさん、これ、たぶんまだ起きてから半日くらいしか、経ってないよね?ねえっっ??
待ってんじゃ、ないの、みなさん??おにぎりと焼きそば!早くハナシ、進めなさいよ!ホントにっっ!!
もう、みんな飽きてきたよっっ???

さて、BMMのおっちゃんが、明らかに科学的情報とジョティシ(占星術師)のご宣託をミックスしてしまっていることに気付いたワタクシ(アブナイとこだった。被災者心理とは、オソロシイものである)、やっとこさ、大使館へ向けて、荷物を運び始めた。

続きを読む

ネパール大地震 2日目 その10

(つづき)

ジョティシの持つ力がわかる典型例はティハールのバイティカ、お祭り期間にも関わらず、バイティカの日は朝からみんな緊張気味で、飲み屋に居ようがお寺に居ようが、とにかくジョティシの「時間宣告」を待ち続けるのみ、こちとら関係ないので、

「ビール、飲もうよ」
「ダルバート、食べようよ」

と言ってみても上の空、早々とジョティシの「バイティカ実施可能時間宣告」が出てる場合はまだマシだが、出てないと宣告待ちでみんなが上の空、である。

ジョティシの「時間宣告」が出るとみんなのケータイが一斉に鳴りだし、決められた家にみんなで一直線に集合し(移動があるからオサケが飲めないのである)、決められた時間に決められたヒトから、決められた手続きに従って、ティカを受ける、という、共通一次なみの(いや、全国規模だからもっと多い)、集団移動同時祭祀が行われる、そのGoサインを出しているのが、ジョティシ、である、といえば、なんとなくおわかり頂けるだろうか(てゆーか、早よゆうたれよ、儀式の時間!)。

続きを読む

ネパール大地震 2日目 その9

(つづき)

だからこそ、「耐震構造」の建築工法をフォローしようと、思わなかったのではないか。

前回の地震でビムセンタワーが倒れたあと、ほぼ同じ発想で同じ高さの構造物を作るなど、我々にはにわかに信じがたいが、なあに、タライの大きな河に見に行ってご覧なさい、「ここに建てても、雨期が来たら流されるよ?!」ってとこに、うじゃうじゃと、簡易式の小屋のようなお家が建っている。流されるか流されないかは、雨期が来てみないとわからないし、流されたら流されたで、また材料を拾い集めて建て直せば良い・・・そう考えているように思える。これまで経験した、大河の越流や、集中豪雨による土砂崩れといった、大きな自然災害の範囲内で対策しようとしていて、この背景には、来る時期が大体読めて、必ず終わるモンスーンがつきものだ。

流されない場所に、流されないように建てたら100万ルピー、今のままなら20万ルピー、とすれば、今のままの20万ルピーを取る(取るしかない)方々が、多いのであって、今回の震災後も、同じ感覚で物理的あるいは経済的理由をベースにした建て直しをする家屋は、少なくないのではないか、と危惧するところだ。

続きを読む
Archives
Categories
  • ライブドアブログ