(つづき)

だからこそ、「耐震構造」の建築工法をフォローしようと、思わなかったのではないか。

前回の地震でビムセンタワーが倒れたあと、ほぼ同じ発想で同じ高さの構造物を作るなど、我々にはにわかに信じがたいが、なあに、タライの大きな河に見に行ってご覧なさい、「ここに建てても、雨期が来たら流されるよ?!」ってとこに、うじゃうじゃと、簡易式の小屋のようなお家が建っている。流されるか流されないかは、雨期が来てみないとわからないし、流されたら流されたで、また材料を拾い集めて建て直せば良い・・・そう考えているように思える。これまで経験した、大河の越流や、集中豪雨による土砂崩れといった、大きな自然災害の範囲内で対策しようとしていて、この背景には、来る時期が大体読めて、必ず終わるモンスーンがつきものだ。

流されない場所に、流されないように建てたら100万ルピー、今のままなら20万ルピー、とすれば、今のままの20万ルピーを取る(取るしかない)方々が、多いのであって、今回の震災後も、同じ感覚で物理的あるいは経済的理由をベースにした建て直しをする家屋は、少なくないのではないか、と危惧するところだ。

地球にたくさん走っているプレート、これが、いつ、どのようにストレスを受け、どの場所でどのように溜まったストレスを解放するのか、これを予測する方法はかなり研究、提案されてきているものの、その確度や科学的根拠は不透明なままであり、まして、ネパールに於いての予測となるとほぼ不可能なように思える。にも関わらず、ネパールの方々は、「何時に起こる」という予測(予言?)を信じ、「やっと地震が終わった!」と、我々の常識からいうと用法のおかしい言い回しで、モンスーンとはまったく違う自然災害を語ろうとする。

かなりの知識人、教育を受けた人でも、これら地震の基礎的科学知識については、かなり怪しいのではないか、と、ワタクシは密かに危惧している。復興支援チームを作ったり、復興支援会議を開く前に、一度、「地震検定」を(プライドを傷つけないように)済ませておいた方がいいのではないか、とさえ、思うところだ。


ただ、これら科学的知識は、教えることができる。

セミナーを開き、パンフを配り、テレビやラジオでくり返し流せば、地震に関する科学的基礎知識は、一定時間の後、浸透していくことだろう。実際、ワタクシの地震に関する知識の大半は、テレビ番組の特集を見て得たもので、かなりの日本人がそうだろうと思う。テレビは、見たら分かる、という点で、極めて有効な教育ツールだ。


しかし、本当にやっかいなのは、こうした科学的知識の欠如では、ない(な、ないんかいっっ!)。

BMMのおっちゃんに限らず、ほとんどのネパリが、

「ジョティシ(占星術師)が言ってるらしい」
「トゥロジョティシ(大占星術師)が言ってるから、間違いないと思う」

と語る、このメンタリティにこそ、ウワサを信じてしまう最大の原因があるのだ。


ネパール人の生活が、宗教及び占星術とともにあるのは、周知の事実である。

彼ら彼女らの日々の生活を見ていても、朝起きたら線香を立てて一回目の簡単なお祈りを済ませ、近所のお寺にお参りに行って、一日の始まりのお祈りを済ませ、戻ってきたらダンナが祈祷室で今日のお祈りをしていて・・・といった具合に、日常が宗教行事で埋め尽くされているのである。そもそもバウンと呼ばれる「僧侶」階級(最上階階級)に属するものは、神仏の教えに従って生き、神仏の教えや悟りを他の階級のものどもに正しく教えることが、生きている目的である、とされている。つまり誤解を承知でわかりやすく言えば、ネパールの僧侶階級の方々は、たとえその方の俗世間の職業が、学校の先生であっても、政府のお役人であっても、ビジネス顧問であっても(ビジネス「マン」には、なかなかならないね、あのヒト達は。笑)、あるいは農民をやっていても、本質的には、高野山の修行僧と同じ生活をしている(目指している)わけである。

神仏に仕え、祈りを捧げ、決められた戒律を忠実に守り、アレを食べず、コレを飲まず、決められた日には断食をして(ヨメもつきあうことが多い)、機会あらば神仏の教えを周りに説き、「修行」の段階が進めば新たな戒律が課され・・・それでもバウン(僧侶)であり続けようとするその姿、もう、千日回峰行を達成して大阿闍梨になろうとしているとしか、思えないよ、ワタクシには(というか、そう考えると、しっくりくる)。

この方々の精神的宗教的人生的支柱が「占星術」であって、これはもう、生まれた時から儀式の日取りが全部、チナと呼ばれる占星図に書かれて決まっていることになっており、民族にもよるのだけれど、日本のお食い初めにあたる儀式(パスニ)や、七五三的儀式の数々(1才、3才、7才、9才、11才等の通過儀礼)、ネパール民俗学の象徴というか、宝庫とされるネワール族の、ヒモ結びや太陽婚や元服や結婚や還暦や・・・とにかく、すべての儀礼や儀式を司り、支配するもの、それが「占星術」なのである。

これらは、日本にもたくさんいらっしゃる、ネパール民俗学や考古学の専門家には、いわずもがなの常識的なハナシばかりだ。あるいは在住のワタクシたちであれば、そうした通過儀礼に、一度や二度は、お呼ばれしたことがあるものだが(そのぐらい、普通で、日常的なハナシだ)、日取りも、儀式の時間も、すべて「ジョティシ」が決めて、通告することになっている。

理論的学術的には陰陽師などに近いと思うが、要するに太陽と月を中心に、ありとあらゆる天体現象を記録、研究、分析し、例えば、Aさんは〇〇年◎月〇日〇時◎分生まれだから、結婚にベストなのは◎◎年〇月〇日◎時◎分で、相手は◎◎年〇月◎日から〇月▲日生まれ、できれば〇時◎分から◎時〇分の間の出生児が好ましく、儀式はこの時間前後に・・・はあはあ・・・ぜえぜえ。

ま、そういう風に、星回りでベストなタイミングを算出し、その通りに儀式を行う、これがネパールの方々の生き方の真骨頂なのである。今はかなり近代化されて、式典会場の時間だったり、メインで出席してもらうオジサンやおじいさんの都合だったり、を、考慮して、かなりハズレた時間や日程でやってることが、多い、ように、見えるのであるが、甘い、実は、儀式は(儀式だけは)、決められた通りの時間に、決められた人達が集まって、例え夜中の2時だろうと、キチンと執り行い、披露式典等は、また、別に機会を設けてやっている、というパターンは、わりに多い。つまりそれだけ、占星術師の決める時間が、重要視されている、ということだ。


(つづく)