(つづき)

ジョティシの持つ力がわかる典型例はティハールのバイティカ、お祭り期間にも関わらず、バイティカの日は朝からみんな緊張気味で、飲み屋に居ようがお寺に居ようが、とにかくジョティシの「時間宣告」を待ち続けるのみ、こちとら関係ないので、

「ビール、飲もうよ」
「ダルバート、食べようよ」

と言ってみても上の空、早々とジョティシの「バイティカ実施可能時間宣告」が出てる場合はまだマシだが、出てないと宣告待ちでみんなが上の空、である。

ジョティシの「時間宣告」が出るとみんなのケータイが一斉に鳴りだし、決められた家にみんなで一直線に集合し(移動があるからオサケが飲めないのである)、決められた時間に決められたヒトから、決められた手続きに従って、ティカを受ける、という、共通一次なみの(いや、全国規模だからもっと多い)、集団移動同時祭祀が行われる、そのGoサインを出しているのが、ジョティシ、である、といえば、なんとなくおわかり頂けるだろうか(てゆーか、早よゆうたれよ、儀式の時間!)。

ことほどさように人生を左右しているチナ(占星図)と占星術、新しく家を建てるといってはジョティシに儀式日のお伺いを立て、事務所開きといってはベストな日取りを聞きにいき、日取りが悪いと言われては西洋(普通の)カレンダーで半年も前から決まっていた常務取締役の日本からの出張予定を平気で変更させ(ホントにあった)、来月はベストな日取りがない、と言われては、まだオープン予定日まで一ヶ月以上あるのに「レストラン開き」を行い・・・と、まあ、これだけ人生のタイミングを左右する占星術、

「地震は、予測なんてできません。まして〇時〇分に起きるなんて限定は、不可能です。ジョティシが『〇時から◎時の間に、国に不吉なことが起こる兆しが出ている』といっても、信じてはいけません」

などという、我々の、「常識」に、したがえ、という方が、無理な話だ(そ、そーなのっっ??笑)。


敬虔なネパールの人々は、みな、ジョティシ、トゥロジョティシの言うことに、従って生きてきたのである。

今の家庭が幸福で、お互いの伴侶に満足して暮らしているならば、それは、精神的にはかなりの大きさの比重で、ジョティシのお陰なのである。

長男のビノードくんも、長女のパビットラちゃんも、その下の生まれたばかりのラクシュミちゃんもディパックくんも、みんな、これから、ジョティシのお告げとチナに従って、幸福な人生を送っていく、ことに、なっているのである。

こうした人生のコンテクストの中で、どうして、ジョティシの宣告を無視することができようか(いや、できまい)。


それでも、まだ、納得できない・・・というアナタのために、ワタクシが実際に目の前で見ていたケースをご紹介すると、ある時、ワタクシの知り合いの家族でもめ事が起きた。

もめ事、というのは、ネパールに限らず、たいがい、男子がそのタネを作り、それに対して抗議していた女性に向かって勃発するものであるが(そ、そーなの?)、この時も、酒におぼれて仕事をしない長男に小言を言っていたお母さんが、当の息子から(たぶんはずみで)

「死んでしまえ〜〜〜〜!」

と言われ、ショックのあまり、寝込んでしまった。

いまだに「男子・長子(つまり、長男)」が一番エライネパール、女子しか生まれない場合は立派な離縁事由になってみたり、長男が鼻水を垂らした、というだけで何万ルピーもかけて医者に連れて行くくせに、4番目くらいに生まれた女の子は腸閉塞になっていてもほったらかされて亡くなったりするケースもあるくらい、蝶よ花よと(いや、これは女子に使う形容だが、ネパールではそんなカンジ)その長男をこれまで育て上げ、女の鏡、母の誉れ、と、鼻高々で生きてきたお母さん、このひと言でホントーに、死にそうになってしまった。

最初は介抱しながらも、しょせんは親子げんか、と思っていた家族、ご飯も食べず、お茶も飲まず、日に日にやつれていくおばあちゃんに戦慄を覚え、長男もこれはマズイ、と思ったか、「母さん、ごめん、ボクが悪かった。言い過ぎた」と謝っても一向に効かず、切羽詰まってジョティシに(医者とちゃうんかい!)相談した。

と、センセイ、

「ふむふむ、これは凶星であるぞよ。まず明日から毎朝4時に、絞りたてのヤギの乳を持ってお寺参りを13日間するように。その際、『◎✕▲※△◇』のおまじないを・・・」

と、こと細かに指示を与え、翌日から家族の介護を受けながらおばあちゃん、13日間頑張った・・・ところが、治ってしまった(!)

「仮病やったんちゃうん!?」

と笑わば笑え、すべてが、ひきつった、泣かんばかりの深刻な顔のもとに行われた、事実である。
(いや、ゴメン、正確にはこれは、寝込んでいるおばあちゃんだけを目撃したワタクシ、事細かな経緯は周りのネパリに聞いた話だが、オニの形相でお寺にお参りするおばあちゃんを、一度、見かけたことがある)


思い込みであろうが、暗示であろうが、こういうことがホントに起こるネパール、ワタクシ達の常識では、

「占い?まあ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、面白そうだし、参考にもなるから、やってみるか」

程度の扱いであるが、ネパールでの占星術、チナ(占星図)、というのは、おそらく、そっちが主体で人間が客体、チナが先に存在していて、その具現、えんぼでぃめんと、として「一人の人間の形をした何か」が、この世に出現してくる、と、そういう意識感覚なのだろうと推測するところである(としか、思えないよ、ワタクシには)。ワタクシたちの場合とは、真っ向から対立している(ワタクシたちは、自分が主体、占いが客体であるが、ここではその逆だ)と思われる。

だから、人々はチナを持ちたがり、知りたがり、その通りに生きていこうとする。

「20才までに結婚しないと、相手がかならず早死にする」

と、20才を過ぎてから言われた(判明した)女性など、いくら相思相愛の相手を見つけようとも、相手の家族が(家族がっっ!)納得せず、いつまでも(ネパール的占星術的な意味合いでの)結婚ができない、というようなことが、へーきで起こる。で、そこからがまたネパール式で、じゃあ、結婚しなければいいんでしょ?と、夫婦同然に生活していながら、いわゆる同棲的結婚生活を送っている方もおられ、そういう方と親しくなって話していると、

「つ、つまり、ワイフなんですか、ワイフじゃないんですか、どっちなんですかっっ???」

と、イライラしてしまうことがあるが、なんのことはない、お二人はチナに従って、

「(占星術的な)結婚はせずに、世俗的な結婚をしている」

だけのことなのであって、これがまた意外と受け入れられていたりするから、ハナシが、ヤヤコシイのである。


(つづく)