(つづき)

つらつらと、これまでの自分のネパールでの(ささやかな)歴史を振り返っていると、今まで一緒に仕事をしてきた方々、遊んで頂いた方々の顔が、いろいろと浮かんできた。

ネパールでお仕事をされている方々のなかにもいくつか潮流があって、一つは言わずとしれた外交関係(要するに大使館関係者)、もう一つは国際援助関係(JICAさんですね)、これがまあ、ネパールにおける業務の2大組織と言って良い。ワタクシも赴任した際には国際援助関係のはしくれで仕事をしていたわけであるが、これを離れた組織(民間組織)というと、他国のような大企業の集まる土地では、ないのですね、ココは(現時点では、ですが)。



ほとんどの方が、個人事業主(的)ビジネスに従事しておられ、でもって、意外と「山屋」さんが、多い。

ヒマラヤ登山関係のビジネス、という意味もあるが、結構純粋に、山岳部だった、ワンゲルだった、探検、冒険、その他諸々の、山岳フィールドで活動するクラブに所属していた(社会人山岳会出身、という方もいらっしゃる)方が、多いのであります@ネパール。

で、この方々、山歩きに慣れているというのか、根っから「山屋」的性格の方、多し。

つまり、何をするにも自分で調べて自分で決め、周到に準備して事に挑み、自分の努力以外の部分(山で言う、天候的要素)もしたたかに見切って、仮に目的が達成されなくても、停滞(沈、ですね、関西系山岳用語では)や撤退の見極めも早く、天候の合間を縫って、結局は目的を達成してしまう・・・ようなところが、(皆さん)ある。ちょっと成功しても、「いや、まだ下山がありますから」ってな顔をしてるとこまで、心底、山屋さんである。

この方々が。

だ。


ワタクシを、応援してくれているのを、これまでひしひしと感じて来た。

山屋さんであるから(笑)、あからさまに声を大きくしたり、体感できるほど背中を押してくれたり、というのは、ま、めったに、ない。大体、山に入ったら、あとは自己責任というのか、横や後ろでつかず離れずで見ててくれれば良い方で、普通はおのおの、自分のペースで歩き、登り、人がバテようが、滑落しようが、基本的には自分の責任ではない。ない、が、やはり同じチームのメンバーであったり、パートナーであったり、は、常に気にかけている、という、アノ感覚。アレですよ、アレ。独立独歩でありながら、ちゃんと気にかけて頂いている、あの感覚を、常に感じて来たワタクシである。

特に何も言われなくても、「がんばれよ」「がんばってるじゃないの」という雰囲気があり、かつまた、こちらが困っていたり悩んでいたりすると、さりげなくアドバイスをくれたり、してきたのだ。

つまり、ワタクシは、応援されているのである。
メロスでいえば、信頼されている(?)と、感じるべきところだ。


そのワタクシが、今、自宅の床で、なんたるザマか。

シンドゥパルチョウクやゴルカの大被害に比べたら、犬の毛先ほどの被害も受けてないクセに、自分が何もしてないことを棚に上げ、あまつさえビールなど呑みながら、一人で落ち込んで自己嫌悪している、そんな場合か?皆さんに、顔向けできるのか?

国際援助のはしくれ業務をやってた時に、夜な夜なサケ飲んで遊んでもらっていた若い人達に、

「すべては現場だよ、現場に行って、現場を見ながら考えれば、複雑な問題なんて、めったにないよ」
「机上の空論で、ためにする議論をするから、ややこしくなるんだよ。具体的に動きなよ」

と、偉そうに説教してきたことを思い出す。


そうだ。

ワタクシは、何ら具体的なことをやっていない。もちろん発災以降、必要な対応に追われ、一つ一つ目の前の作業をこなしてきてはいるが、それらはすべて「向こうからやってきた」「選べない・逃げられない」作業であって、今回の震災に対する、「ワタクシにできること」「ワタクシでなければできないこと」という、前向きの、こちらから出向いていく観点での作業は、何一つしてないではないか。


そう思うと、急に思考回路がまっすぐになった。皆さんが、ニヤニヤ笑って、見てる気がした。

こりゃイカン、ビール呑んで酔っ払ってる場合じゃ、ないぞ。

立ち上がってグラスのビールを流しに捨て、冷蔵庫の水をがぶ飲みした(残念ながら電気はまだ、回復してない)。ガスは生きているので、同時にお茶をいれるための水をやかんに入れ、火にかける。目についたおにぎりを、一気にたいらげる。

今日はもう、時間も遅いし、何かをするのは、とうていムリだ。電気もないことだし、今できることはしっかり寝て、体力を回復させることのみ。明日になったらまた、新しい考えも浮かぶだろう。

そう割り切って、沸いたお湯でお茶をのみ、さっさとベッドに入って眠りについた。


(つづく)