続くねえ〜〜、ワタクシさん!行っちゃいますか、3日目!
例の「余震」が来る頃には、もう、ダサインだね、この調子だと(笑)!?


覚悟を決めて寝たからか、単なるビールの飲み過ぎか、おかげさまでかなり深く眠ることが出来、目が覚めたのは7時少し前であった。少し寝たりない気もしたが、この状況下まさか二度寝でもあるまい、と、電気の確認も兼ねて、さっさと起き上がる。確認するまでもなく、停電状態は継続していた。

節電のために電源を落としていたPCや携帯類を起ち上げ、新しい情報がないか、少しの間、情報収集をする。一昨日、昨日、と、続々とネパール地震のネット記事は出始めており、今朝は朝読毎日経産経の五大新聞が、こぞって現地特派員記事の配信を続けていた。

メールやフェイスブックには、安否確認の書き込みがあふれ、普段は冷静な友人知人による、

「ネパールが全滅した」
「カトマンズが壊滅状態だ!」

といったトーンの発言が目立つ。が、しばらく読んでいて、何とも言えない違和感を覚えた。

ラジンパットは、一昨日、昨日と、大通り沿いを見る限りでは、「潰滅」というほどの被害でも、ない。むしろ、無事で良かった、と言って良い程の被害の少なさであるのに、こうした点はニュース記事の編集特性のお陰で、まったく触れられていないのであった。まあ、報道各社、社費を使って特派員を送り込んでおいて、「こんなに無事です」という記事も、書けない。

実際に壊滅的被害を受け、一刻も早い救援救助、物資輸送等を待っている地域があるのだから、こちらを報道するのが優先されることに、ワタクシごときが、異論のあろうはずもない。

一方で、国際電話も混乱しているに違いないこの状況下、トータルで判断できる材料を提供することも、必要ではなかろうか。幸いにして最近は、フェイスブックその他のITが手軽になっており、我が家は電気こそないものの、もらい電気をしに行けば、こうした情報を世界中に発信することも、可能な時代だ。
(後日聞いた話では、震災後3日くらいは、まったくネパールへの国際電話がかからなかった、とのことだった)

よし、まずはそれをやろう、と思い立った。


国王による王政復古があった2005年、国軍があらゆる通信手段を掌握、停止する中、我々在留邦人は、車と自転車を駆使して、情報の収集や張り紙の配布をして回ったものだが、そのことを思えば、通信手段が生きている今回、情報さえ集めてしまえばあとはネットでアップするのみだから、作業としては前回よりラクなハズである。

そうと決まれば、あとはやるのみ、である。

これが「ワタクシにできること」なのか、多少の疑問は残ったが、なに、違っていたら明日は別のことをやれば良いだけ、今日はとにかく、町の情報をできるだけ公平に集めて、情報のバイアスを少しでも是正することに時間を使うことにした。ふらっ、と顔を出して立ち寄っても、イヤな顔をせずに受け入れてもらえる可能性、ふだんあちこちウロウロしているから、仮に道がふさがっていたり、橋が通れなかったりしても、代替ルートの見当がつく可能性、こんなことやるヤツ、他にいないだろうなあ、という可能性、家族の面倒を見なくてよい状況(チョンガーズメンバーだからなっっ!)等々、まあ、ある意味、ワタクシでないと、できない、と、ムリに自分を納得させる。


昨日同様、おにぎりの準備をしながら、アタマの中でルートを描く。エンジンのない道程であるから、効率良いルート取りをしないと、運動不足のワタクシなぞ、あっっ?!、という間に、へばってしまうに違いない(あ?あ?!あああぁぁぁぁっっっっ〜〜〜・・・・くらいかな)。

電気をもらい、3Gでネットに接続するために、まずは様子見も兼ねて、大使館へ行く。その後、けが人収容等が進んでいるであろうティーチングホスピタルへ北上し、救助救援、緊急輸送の状況を見る。昨日もお邪魔した旧知の会社事務所に立ち寄りながら南へ戻り、タメルの、一昨日行ってないあたりを視察。その後西から東へリングロード内を横断し、空港近辺の状況を見て、ナヤバネシュウォールからサンセットビュー前の路地を使ってパタンへ抜け、被害甚大と伝えられるパタン旧市街を訪れ、その後、まだ顔を見てないパートナー家族@クマリパティのお見舞い、というところまで、大体のルートを決めた。

ゆっくり走って、それでおそらく夕方くらいにはなるだろうから、天候と時間次第で、帰り道を決めればよい。時間があれば、サネパ方面、特に、緊急支援拠点として動き始めていると聞くイエローハウスの様子を見て、ここの情報がアップできれば、ネットでニーズアセスメントを求めておられる方々向けの情報としても、ベストであろう。

実はこの日、新潟から市議会議員の先生がいらっしゃっていて、市内某所でお目にかかる予定になっていたのであるが、アポイント打診が来たのが震災前で、その時のお話しではこの翌日(28日)にご出国の予定とのことだったので、おそらく飛行機の座席確保(というより、飛ぶか飛ばないかの確認)で大わらわだろう、と、勝手に判断し、連絡しないままキャンセルさせて頂く。新潟とネパールの農業コラボの可能性を伺いたい、という、大変興味深いテーマだったので、こちらとしても非常に残念だが、お目にかかって打合せをしても、この状況で普通にハナシが進むとはとうてい思えず、先方からも連絡は来なかったので、まあ、これは今後の課題として持ち越しだ、と割り切る。


昨日にもまして気合いを入れて準備を行うワタクシ(今日はかなりの長丁場、強行軍だ)、行動食のアメやチョコ、十分な水をザックに詰め込み、出来上がったおにぎりを主食用のタッパに入れて、気分だけはさっそうと、だが、体力の衰えには十分注意をしてノロノロのそのそと、再びご近所のみなさんの半笑いの視線を浴びながら、ラジンパット通りへとこぎ出した。


(つづく)