(つづき)

訊きたいこと、突っ込みたいことが満載の、このカウンター、しばらく様子を見たのち、手が空いてそうなタイミングを見て、スタッフの一人に話しかけてみた。

このカウンターを設置しているのは、誰なのか?(病院?政府関係機関?ボランティア?)

このカウンターに来ているスタッフは、どういう人達なのか?

その人達の報酬的なものは、どうなっているのか?

電気のないこの状況で、アナウンスはどうやって流しているのか?

そもそも、なぜこのカウンターが・・・と、まあ、訊きたいことは山ほどあるのだが、作業を並行している若人達の手を止めるのも申し訳なく、とりあえずそそくさとお伺いしてみた。

聞き取ったところでは、このカウンターは近所の若者達有志によって、自主的に設置された、とのことである。

若者の一人が、患者を連れてこの病院に駆け込んだのがキッカケだそうで、後から来た人が面会するのにも、医者に言われたクスリを買いに行くのにも(そう、ネパールの病院は自分で薬局にクスリを買いに行くシステムだ)、地方から運ばれてきた人の面倒を見るために、衣服や食品を買いに行くのにも(そう、ネパールの病院では、病人食なんて、出ない。入院患者の食事は自分(達)で手配するシステムだ。だから高血圧の人がへーきでいつものシオとアブラ満載のダルバートを食ってたりする)、「案内所」的なシステムがなければ、みんな、困るじゃないか、と気付いて、仲間と病院に直接掛け合って、カウンターの設置を決めた、とのことだった。

一日目(つまり昨日)は、行き当たりバッタリながら、徐々に協働する友達も増え、そのツテもあってNGOから協力を得ることができ、そのNGOから借りてきた「充電式可動スピーカー」とマイクを使って、アナウンスサービスを始めた、とのことであった。集まり始めた情報を、最初のウチはノートにメモっていたらしいが、そのうちA4の紙に書いて貼っておいた方が有効だ、ということになり、気がつくと掲示板的なコーナーが出来ていたそうで、それならば、ということで、病院近辺の薬局やら衣料品店やら食品店やら、の情報も掲示し、みなさんの便宜を図っているそうだ。


こうやってハナシを聞いてるウチにも、「都会の大病院なんて、初めてじゃ!」って、顔に書いてあるようなおじさんおばさん、おじいさんおばあさんがひっきりなしにカウンターを訪れ、助けを求めている。人と人との垣根が低いネパール、日本のように、「あの、スミマセン・・・」的な前置きは一切無く、

「ミン・バードル・グルンじゃ」

・・・・え?

「ミン・バードル・グルンじゃ」

みたいなやりとりがひんぱんに行われている(爆笑)。いきなり名前だけ言われてもまったく用件がわからないのであるが(わからないってば!おばさん!笑)、これを意訳してみると、おそらく、

「ゴルカからヘリで運ばれた(グルン、だから、ね。おばちゃん、鼻輪のかざり、つけたままだし)、ミン・バードル・グルンがここに来ているはずじゃが、アンタ達、なにか知らんかね」

と言いたいのではなかろうか・・・と、ワタクシが推測するまでもなく、若人スタッフが素早く掲示板を見渡し、手元のノートを繰り、

「マン・バードル?ミン・バードル?あ、その人なら第3病棟に居るらしいですが・・・ちょっと待ってね、今、電話してみるからね・・・」

と、見事な対応をしている。

数分して、泣きそうな顔をした女性が現れ、おほほほ〜〜〜い、よよよよ〜〜〜い、と、抱擁してひとしきり泣いたかと思うと、おもむろに連れ立って、病棟の方に消えていくのであった。


すげーな、君ら。これ、現時点でできる、サイコーのサポートだよ。もう、ホメどころ、満載。手書き中心、というクレバーさが、ワタクシの琴線に触れていることも、あるには、あるが・・・。

田舎から緊急搬送されてきた人の付き添いなんて、病院やカトマンズの右も左もわからない、ってだけじゃなく、(たぶん)高飛車な(に見える)医者に、アレ買ってこい、コレが必要だ、と言われて、薬局どころか、銀行の場所もわからず、カトマンズの親戚友人知人に助けを乞おうにも電話の場所もわからず、直接家を訪問しようにもタクシーはまだまだ走って無く、もし走ってても、(ガレキや通行止めで)たぶんまっすぐ家には行けずにお金だけぼったくられ、その状況を誰かに知らせたくてもその手段すら、なく・・・と、文字通り八方ふさがりで、途方に暮れてるに違いなく、そこで、いつものように話しかけて(つまり、名前だけ連呼して。笑)、全部親身に、ネパール語でネパール的にサポートしてくれるこのカウンター、ネズミのクニの迷子カウンターなみの、癒やし効果まで発揮していた。

それが証拠に、大体用事が済んだ、と思われるおっちゃんおばちゃんは、再度必ず(<たぶん)このカウンターに姿を現し、えんえんと、このカウンターがどれだけ助けになったか、を述べるとともに、設置してある募金箱に少なくない金額のお金を、投げ込んでいくのであった。

NGOがバックについていて、近所のボランティア青年の有志でやっている、という条件を考慮しても、実際にやってる彼ら彼女らの食事や飲み物、バイクの移動用燃料等々考えると、お金は、きっと、いくらあっても助かることだろう。

そう思ってワタクシも寄付を行い、寄付のついでに、気になっていることを訊いてみた。

「この充電式スピーカー、NGOの名前が書いてあるから借りてきたんだろうけど、充電はどうしてるの?今、停電してるよね、このへん一帯???」

帰ってきた彼らの答えが痛快であった。

「あ、それはあいつ(と、他の有志を指さす)の家の隣の人が発電機を持ってて、燃料の備蓄も十分にある、っていうのでお願いに行ったら、24時間いつでも来い、って言ってくれたんで、そこでお願いしてます」


大きなゲートの大きな家の中で、トヨタやらホンダやらをずらっと並べてる恰幅のいいオジサンが、

「てぃっけいちゃ、あうぬ、あうぬ(だあいじょうぶだ、おいで、おいで)」

と言ってる姿が目に浮かぶ。オジサンの足下で、さっきからじっとこちらを見つめている犬は、きっと、耳のピン、と立った、オスシェパードだ(と、思うよ、ワタクシは)。


みんなが、できることをやってるんだなあ・・・と実感しつつ、南へ向けて、病院を後にした。



(つづく)