(つづき)

さて、タメルを後にして空港まで、以前であれば結構狭い道をえっちらおっちら、だったのだが、SAARC実現に心血を注いだバッタライ首相の「カトマンズ盆地内道路拡幅整備事業」のおかげで、ヤク&イエティホテルの裏からまっすぐ空港へ向かう道路が大幅に広くなり、かつ、簡易舗装の実施によってでこぼこ状態も解消され、今日みたいな交通量の少なさだと、ほとんど貸し切りサーキットのような快適さである。あまりに快適で、つい、鼻歌がでそうになるほどだが、サスガにそれは不謹慎に思えて、だまって黙々とペダルを漕ぐ。

タメルから空港へ向かうルートはいくつか考えられるが、このルートを取ったのは、リッチな観光客の定宿であり、ワタクシの得意先ともなっている、ドゥワリカホテルの状況を見ておきたかったこともあったが、最大の理由は、ゴウサラの交差点を抜け、空港に走るリングロードラインから伺えるであろう、パシュパティナートの状況を見ておきたかったからでもある。

貸し切り状態の、スバラしく走りやすくなった道路を、いろんな想像をしながらひたすら進んだ。
カトマンズ盆地の道路拡張は、ワタクシが赴任ベースで当地にやってきた2001年当時にも、すでに言われていたことであった。


当時はまだ、今ほど交通量が多くなかったが、すでに公共事業計画省(当時)道路局は拡張の必要性を訴えていたし、実際の工事にあたるカトマンズ市の職員達も、ちょくちょく、

「ワタクシさんって、日本の建設会社の方なんですよね、うちらの拡張工事に伴って、コレコレこういう問題が出てきそうなんですけど、どう思います?」

だの、

「アソコの空き地を、どういう風に利用すれば、有効活用できると思います?」

だの、

ハナシは、かなり真剣なベースで、あった、のである。


ほどなくして、ホンダやヤマハのバイク販売についてのローンが解禁となり、子供にバイクをせがまれても、

「パイサ、チャイナ!」

と言ってれば良かったお父さんたち、

「いや、でも、月々500ルピーからだってよ?」

などという、(DORA)息子の口車に乗せられて次々とバイクを購入、このころのカトマンズは、街に出てくる度にバイクの数が激増し、その度に事務所から客先へ行くための出発時間が10分単位で早まっていったのを記憶している(15分で着いていた客先に、20、30・・・とかかるようになっていった)。

もっとも、地元がカトマンズからバスで1〜3時間くらいだった方々は、バイク購入によって格段に利便性があがり、さらに野菜やタマゴなどのビジネスも仲介業者なしでやれるようになって、あっ?!という間にローンを返済して2台目を購入したりして、中間搾取の排除や、地方経済の発展という観点からは、悪いことばかりではなかったものの、カトマンズ盆地内でクルマ移動することの多かった我々には、閉口ものであった。

そのうちローンがクルマにも適用されるようになり、そうなるとバイクに続いて一気にクルマの数も増え、それも欲張ってランクルなんかの大型で良いクルマを買うものだから(売り手の事情もあるが)、カトマンズの渋滞は急激にひどくなっていった。

この頃に颯爽と登場し、ヒトとクルマの分離、車線の遵守、停止走行順のコントロールなどを、身をもってカトマンズ市民に教えようとしたのが国際協力機関のBさんであるが(ナツカシ〜〜〜ッッ)、まあ、これは以前書いたので、興味のある方はこちらをお読み頂きたい。 (BさんBさん2



(つづく)



・・・ホントに、逸れるよね、ハナシがね、ワタクシさんは、


・・・・ね。