(つづき)

ローンの導入による急激なバイクとクルマの増大が始まり、ことここに至って、カトマンズの良識派と国際援助関係者を中心に、これはいよいよ道路拡幅が必要だ、という声が高まった。

時の政権やカトマンズ市長が、いくどか道路拡幅の実施を試みたのであるが、その都度、家屋の所有者や近隣住民、利害関係者、およびこれを喧伝するマスコミ等によって、反対キャンペーンが巻き起こり、バンダやジュルス、果ては担当官庁や市庁舎への直接的暴力的抗議行動等が発生して、何度やっても完全実行に移されることななく、これを継続的にやることは不可能だ、と思われていたのであった。

ところが、2002年に続いて2013年のSAARCサミットにもホスト国として名乗りを上げていたネパールは、インフラ整備が間に合わないとして開催時期の延期を申し入れたのであるが、これに対して、サミット首脳から、

「あんな政情不安な状態で、SAARCサミットなんて、ムリに決まってるでしょ!第一、あの狭い道だらけのカトマンズで、こないだみたいな渋滞だらけ、遅延だらけの会合、まっぴらゴメンだね。サイテーでも、道路くらいは、ちゃんとしてくれなきゃね」

と見下されて、バブラムバッタライのハートに火が点いたのであった。

バッタライというヒトは、ワタクシの知る限り筋金入りの「マオイスト」なのであるが、毛沢東思想原理主義といおうか、未完成毛沢東主義信奉派といおうか、要するに毛沢東が政権を穫る前、反政府組織として活動していた時に掲げていた理想、これを真剣に実現しようとしているのだろうと思う。

現実の統治や政治を始めた後の毛沢東思想には、従って、あまり興味がないのではないか、と思われる。彼自身、あるいは親族側近の口から、「理想とするのは日本だ」という発言を聞くことがあり、これを聞いた(早とちりの)一部日本人などは、

「馬鹿にするな、日本は自由民主主義・資本主義国家であって、間違っても中国共産党の元祖の思想など、取り入れたりせんわい!」

と、憤るのであるが、よくよくハナシを聞いてみたり、彼と直接ハナシをしたことがあるヒトに問いただしたりしてみると、要するに、

「日本というクニは、カーストもなく、それゆえの不平等もなく、全国民が等しく、教育を受ける権利を始めとする基本的人権を、国家によって保証されている、と聞く。国民も、国民が成すところの国家も、そのように考え、実践しているところが素晴らしい。その上、長幼の序やコミュニティ全体の利益といった、個人を超えたものをリスペクトするベースも持っている。資源が乏しいのに、勤勉さと緻密さで経済大国になり、そのお金で貧しい国を助けている。ぜひ、ネパールも、ああいうクニになりたい」

ということのようである(意見や感じ方には個人差があります!笑)。

イデオロギーというよりは、いまだにヒンドゥーやマヌの思想から逃れられず、それによる性差別やさまざまなネグレクトが起きている現状を知る彼だからこそ、そうした伝統背景を一切排除して成り立っている毛沢東の思想(それも工業社会ベースのレーニン思想ではなく、農耕社会にしっかと立つそれ)を、ネパールに応用したかったのではないだろうか。彼にとっては、アカ旋風や安保闘争を乗り越えて、主従・労使(労資)の関係が社会習慣上も法令上も公明正大な(に見える)日本社会が、(よく言われるような究極の社会主義国家として)一つの完成形にみえるのかもしれない。


その彼が首相在職中、ワタクシはかなり近場の(首相官邸裏手の)アパートに暮らしていたのだけれど、パタンの自宅にはほとんど帰っておらず、ワタクシが飲みに行った帰り、そうね、夜の11時とか、に、通りかかっても、普段は照明を落としている首相官邸に煌々と明かりがついて護衛が立ち、愛車のスコーピオは護衛の警察車両といっしょに待機中(ということはまだ仕事中)で、ずいぶん遅くまでやってんなあ・・・とのんきなことを考えていたら、翌朝4時のラジオ番組に直に出演して国民に語りかけ、そのまままた、官邸に出勤・・・みたいな、ご自身こそ一時期のジャパニーズビジネスマン?ってくらい、働きづめに、働いていた。

くだんのラジオ放送では、なぜ今、カトマンズの道路拡幅が必要なのか、それをやる法的根拠は何か、等についても、丁寧に説明していたらしい(ワタクシはネパール語を解さないので、ほとんど聞き取れなかった)。これは、彼の敬愛する政治家の一人であるホー・チ・ミンもよくやった方法だそうだが、

「どんな小さな問題でも、政府が聞いてくれなければ、直接ワタシのところへ言ってきて下さい」

と呼びかけ、実際にホットラインを開設し、結果、何件か逮捕されたヒトや、摘発された業者・お店が出た。

組織管理を少しでもやったことがある方ならおわかりのように、この方法、「言え」と言うと、自分に都合の悪いことを全部ヒトのせいにして文句ばっかり言うヒトが出たり、あるいは、発言を聞いてしまうと何がしか対応せざるを得なかったり、実は意外に面倒なものであるが、バッタライはこれを、ラジオと電話のホットラインで、実際にやりきったのだった。

朝から晩まで寝る間も惜しむように働く彼へのカトマンズ市民の信頼は日増しに上がり、「元・反政府テロ組織」とレッテルを貼って対抗していた勢力も、徐々に徐々に押され気味になり、と、まあ、こうした中で、

「どうしても道路拡幅は必要なんです、今、SAARCを実現できなければ、我々は世界どころか、SAARCの中ですら、落ちこぼれになってしまう」

と、危機感をあらわにして叫ぶバッタライ首相無くして、カトマンズ内の道路拡張工事はありえなかった、といえるだろう。

その成果、果実としての舗装道路を、もくもくと漕ぎ進んで、ようやくゴウサラの交差点へ到着した。


(つづく)