(つづき)

拡幅作業をやっている最中は、確かにホコリがひどく、あちらこちらに資材が積まれて通行止めになっていることもしょっちゅうで、これがまた予告やなんかせず、走っているクルマなんてお構いなくやるものだから、ただでさえ狭いカトマンズの路地を、資材が置かれてない、重機も働いてない道を、一生懸命迷路のように走って、やっと目の前に表通り・・・と思ったら、すぐ手前が掘り返されたまま放置、みたいなことが頻繁に起きていて、さんざん走らされたあげくに目の前に出現した穴の手前でクルマを止めて(しかも向こうには目指す表通りが見えている)、

てめえ、いいかげんにしろよ

と、いろんな人の心の中で殺意が芽生えていたのが記憶に新しい(ウソつけ!)。

こういう複雑怪奇、こちらの忍耐力を試すような作業は、だから、とにかく、

「オレはやり遂げるぞ!」

という強い意志と粘り強さがなによりも必要なのであって、この点、常に旗を振り続け、自分にできることは率先してやりきった、バッタライさんを初めとする計画執行幹部のみなさまに、事情を多少なりとも知る一人として、心から尊敬と感謝の念を送りたいと思うのである。

お陰でSAARCも成功裏に終わり(いや、だから、あれで成功なんですってば!)、その資産として残った、格段に走りやすくなった道路、いざ出来てみるとやはり、やって頂いて良かった、と思うのはワタクシだけではないだろう。


聞くところによるとパタンの方々が先んじて拡幅作業に協力したのは、ワタクシも少し携わった、日本のODAでやったバクタプールへの道路の拡幅工事、アレが、結構効いていた、とも言われているらしい。

以前は、ご主人がバクタプールの親戚の家からカトマンズ方面へ帰る際、

「今から帰るよ」

と電話が入ったら、それから買い物に行き、ご飯を仕込んで野菜を切り、ゆーーーーーっくりと、ダルと野菜のおかずを作ってても、まだ帰ってこなかった(くらい、バクタプール〜カトマンズ間の道路は、渋滞していた)のに、今は、

「今から帰るよ」

と電話があったら、すぐにご飯を火にかけ、ダルも野菜もやり始めないと、ちょっと何かを切らしていて買い物に行って・・・なんてやってたら、もう帰って来てしまう、それぐらい、アノ道路の拡幅による渋滞緩和と移動時間の短縮(ということは経済効果)は、大きいらしい。

こういう実地のお話しを聞くと、楽しくて嬉しくて仕方がないのであるが、盆地内の道路拡幅工事を一気に実施方向に推し進めたパタン住民の意識の内に、こうした拡幅効果への期待が潜在的にあったとすれば、道路をやった、という以上のヨロコビがあろうというものである。


走りやすくなった道路を思いながら、さて、いよいよ眼前にはバグマティ川とその上にかかる橋、今日の視察ツーリングの心の峠越え、パシュパティナートエリアへと駆け下った。


(つづく)