不覚にも、40年以上生きてきて、というか、小学生の時にギターを始めた時に音楽をやり始めた、と計算して(甘やかして)みても、30年以上は、知らなかったのである。何をって、タイトルにある、インド音楽を。

モチロン、ザキールフセイン始め、天才インド系ミュージシャンの音楽は、純インド音楽であれ、毛唐とのコラボであれ、聞いたことは、あった。あったさ、そりゃあ。

あの、なんとも言えない不思議な雰囲気の音の空間で繰り広げられる、繰り広げられる・・・、うー、あー、アレはなんと表現したら良いのか(と昔は思っていた、というオハナシ)、なんかこう、いかにもアヤシげな、瞑想のためにといえば瞑想のためにあるような、あの、ちょっとけだるいカンジの音楽。

と、フツーはそういうカンジじゃあ、ないっすか、インド音楽って。

だが。

しかし。

昨年、知る人ぞ知る井上想さんの解説付きのドゥルパド講座を受けて以来、ワタクシの人生に大きなタノシミが一つ増えたのである。

まさにインド音楽開眼、ドゥルパド記念日が、やってきたのであった。

今まで「インド音楽」というものを、ネパール在住10年を超えたこともあって、なんども耳にしてきた。当代一流、と言われる方々の演奏会にも参加し、それなりに(と、今となっては言うしかない、ワタクシはまったくその価値を分かってなかったのだから)、堪能し、タノシミ、感動してきた。

ところがどっこい、これまでワタクシが聞いて来たインド音楽というのは、その「聴き方」が、大間違いだった、ということを、井上想さんが教えてくれたのだった。

何がスゴイってまあ、インド音楽(というと想さんに叱られるのだが。笑)は、脳ミソをほぐしてくれる。

いや、これね、「癒やしの音楽なら他にもたくさんあるじゃん!」ってな、シンプルなハナシでは、ないんですよ。まあちょっと聞いてやって下さいよ、奥さん。

インド音楽を、いや、想さんに叱られないように、南西アジア伝統音楽、というべきなのだけれど、まあインド音楽(笑)、本当に、脳ミソをマッサージしてくれます、物理的に、というと誤解を受けるだろうけれど、シナプスっていうんでしたっけ、アレが、一つ一つ全部、活性化して、耳から入った音を脳内全体に行き渡らせる、というか、それをまた、キチンと脳内で感じることが出来る、というか・・・。

いや、あの、ヘンになっちゃったわけではないので(と思うので)、付いてきて下さいね、奥さん。

インド音楽を聴くとき、西洋音楽に知らず知らずにどっぷり浸かっていた初心者のワタクシは、

「楽器(または声楽)+伴奏」

という聴き方を、無意識のうちに、どうしても、してしまっていたらしいのである。これは多分ワタクシ自身には罪はない、相当意識してそこから離れる努力をしないと、ほとんどの日本人は、そういう耳になってしまっていると思う。

最初想さんから、

「インド音楽(とは、彼は言わないが)は、まずタンプーラをしっかり聴くことが基本となります。これは演奏する側も聴く側も、同じなのです」

と言われて、

「いや、別に、言われなくても聴いてますけど、タンプーラ??」

と思ってしまった。

タンプーラ、というのは、インド系音楽を知る人なら必ず目にする、見た目はなんとなくシタールっぽくて、本式の演奏の時には必ず出てくるんだけど、なにを演奏してるんだか、演奏全体の中でどういう役割を果たしてるんだか、イマイチわからない、アレである。

本式のインド音楽コンサートのポスターなんかだと、声楽の場合はたいがい本人、それ以外の楽器演奏者のコンサートの場合だとその人の横やちょっと後ろで、あぐらをかいた左ひざの上に立てて、左手でいわゆる「ネック」の部分を弾き抱え、しかし右手は右ひざの上に置いている、アレである。弦楽器、というと、西洋音楽のギターやベースギター、日本では琵琶や三味線、その他のアジア音楽でもシタールみたいなものに慣れてしまっているワタクシたち、

「右手で弦を弾き、左手で音階を変化させる」



「フレットは、あるものとないものがある」

程度なら知っているが、こうして左に抱えるように構えて、左手だけで弦をかき鳴らして、さて一体、どんな音階をどういう曲のために鳴らしているのか(鳴らそうと、意図しているのか)、さっぱり意味不明なのであります。

でもってコレがまた不思議なことに、簡易式の演奏会なんかだとこの「タンプーラ」、「タンプーラマシン」なるものがあったりするのでありまして、楽器ではなく、ボックス式・電気式のものをステージに置いて、それを鳴らしながら演奏する、というようなことも珍しくない。

じゃあ、要らないんじゃないの、ソレ?なんか鳴ってるけど、ま、とりあえず鳴っててちょーだい、ワタクシは今日は声楽を(あるいはシタールを、またはタブラを)聴きにきてるんであって、そっちを聴くから。あ、でも、タンプーラ鳴ってないとインド音楽っぽくないから、いいよ、鳴っててくれて・・・

とワタクシが勝手に判断してきたのも、無理からぬこととして、ご容赦頂きたいのである。


(つづく)