(つづき)
恥ずかしながら、この「音絵画」的な世界を体験し、脳内・体内ともにトロトロに溶けてから後、やっと、想さんが講義のときにおっしゃっていた、
「インド音階は切れ目がない」
という意味が、腑に落ちたのであった。
恥ずかしながら、この「音絵画」的な世界を体験し、脳内・体内ともにトロトロに溶けてから後、やっと、想さんが講義のときにおっしゃっていた、
「インド音階は切れ目がない」
という意味が、腑に落ちたのであった。
ヨナ抜きだとか沖縄音階だとか、ブルース系7th・9thだとか、いわゆる西洋音楽音階から来るバリエーションを知ってるつもりではしゃいでいたのであるが、南西アジア伝統音楽の考え方は、そもそも発想がまったく違うのであった。
ピアノの鍵盤、まずこれを想像して頂きたい。白鍵がド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、とあって、これに黒鍵が5つ加わり(ド、レ、ファ、ソ、ラの#の位置)、13の音で1オクターブ、というのが、西洋音階の基本で、黒鍵が入っていることで、相当細かく、音階を分けてある、というのが(自負が)、考え方の根底にある(と思うよ)。
ところが想さん曰く、インド音階(じゃないんだけどね、南西アジア伝統音楽音階)の考え方は、
「ド、と、レ、の間に、もっと、音、あるでしょ?あるよね?あるよ、うん、ある。」
ということなのだそうである。
例えばド、と、レ、の間だと、西洋音階では半音のみに音階を与えているが(ドの♯/レの♭)、インド音階ではこれ以外の音も音として捉える。つまり、センチがあれば、ミリがあり、そのしたにはさらにマイクロ、ナノ、ピコ、フェムト・・・と、限りなく細分化していける音が、あるでしょ?あるよねえ?あるよ、うん、ということなんだそうである(すげーな)。
ってことはだよ、おまいさん(笑)。
西洋音楽の音階を「階段」だとすると(ド、から一段上がったところがド#で、もう1段あがるとレ)、南西アジア伝統音楽の音階は、限りなく「スロープ」に近く、ドからレまで、切れ目なくつながっている、ということに、なるらしいのである。いや、ワタクシが言ってるんじゃない、想さんが言ってる。
だからつまり、西洋音階のドから0.2上がった音、というのは、「out of tune」となるのだけれど、インド音階ではこれも「アリ(正当な音)」として、認められるということになる(!)。西洋音楽の1オクターブ13音のなかに、インド音階は無限大の音がある、ってことになるじゃあ、あ〜〜りませんか(!!)。だって、「線」なんだから。
この「階段」と「スロープ」の違い、0.2も0.6も、時には0.65をも、はっきり(耳で)認識するためのツール、これが「タンプーラ」だ、と、想さんは言う。タンプーラは演奏中、ずっと同じ音を出し続けているから(といっても複数弦楽器であるから、音階の違う複数の音が出ているのだが)、そこを基盤(ベース)にして、演者が出している音が、0.0なのか、0.2なのか、0.6なのか、0.65なのかを、「測る」というのだ。
演る側の言葉として想さんは、「タンプーラに自分の音をぶつける」という言い方をしていたが、内容は同じ事で、とにかく基礎となるタンプーラの音がなければ、南西アジア伝統音楽は成り立たない、ということなのだ。
南西アジア伝統音楽は、入門したらまず「声楽」をやる、というのは知識として知ってはいたが、このように説明して頂くと
すとん
と腑に落ちるものである。
そもそも個々人にとってもっとも個性的な楽器である「声」、これはお金もかからないし特別に作る必要もないし(いやモチロン奏者としての修行は厳しい、認められた奏者として演奏するためには「声を作る」ための途方もない修行が課される)、手軽といえば手軽なのだけれど、それ以上に、これは、南西アジア伝統音楽(疲れてきた)の「音階」の思想に、バッチリ当てはまる「楽器」なのである。バイオリンやビオラ等の、フレットのない弦楽器なら、西洋の楽器でありながらも0.2や0.65を出すことはできるけれども、たとえば、
「0から200まで、途切れることなく音を上げてみよ」
と言われると、弦から弦へ移る瞬間があるから、途切れることなく、は、不可能である。が、声なら(鍛えれば)、これが可能になるのだ。
でもって南西アジア伝統音楽はこうした「声」の長所も知り尽くしていて、
・レからドへ、鍵盤的に下りる歌い方(2段すっ飛んで下の音を出す)
・レからドへ、スロープ的に下りる歌い方(いわゆるポルタメントで下の音へ下げる)
・レからラにすとんと落としてからドへ、スロープ的に動く歌い方(これもポルタメント)
等々、さらにはレからラそしてド+0.2のような動き、等も、自在に操って演奏する(歌う)。
知らないワタクシは、この音階の動きだけを追って30年、
インド音楽って、神秘的だなあ
などとわかったつもりでいたのであるが、この動きのベースにタンプーラをしっかり据えて改めて聴いてみると、一定のタンプーラというキャンバスの上で動き回る「声楽」、この両方がしっかり混ざった途端に、
脳がとろける
のであります。マッサージされるのであります。
インド音楽のCDを持っていて、この感覚を味わったことがなかった、という方、CD持ってて良かったですね、ぜひお試し頂きたいと思う。
できれば裸足で、目を閉じて、鳴っているすべての音を同レベルで耳から脳に送ってみて頂けるとよろしいかと思う。シナプスが刺激されるというか、脳内でなにかが這い回るというか(!)、とても不思議な感覚を味わって頂ける・・・ハズなんだけど。
(つづく)
ピアノの鍵盤、まずこれを想像して頂きたい。白鍵がド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、とあって、これに黒鍵が5つ加わり(ド、レ、ファ、ソ、ラの#の位置)、13の音で1オクターブ、というのが、西洋音階の基本で、黒鍵が入っていることで、相当細かく、音階を分けてある、というのが(自負が)、考え方の根底にある(と思うよ)。
ところが想さん曰く、インド音階(じゃないんだけどね、南西アジア伝統音楽音階)の考え方は、
「ド、と、レ、の間に、もっと、音、あるでしょ?あるよね?あるよ、うん、ある。」
ということなのだそうである。
例えばド、と、レ、の間だと、西洋音階では半音のみに音階を与えているが(ドの♯/レの♭)、インド音階ではこれ以外の音も音として捉える。つまり、センチがあれば、ミリがあり、そのしたにはさらにマイクロ、ナノ、ピコ、フェムト・・・と、限りなく細分化していける音が、あるでしょ?あるよねえ?あるよ、うん、ということなんだそうである(すげーな)。
ってことはだよ、おまいさん(笑)。
西洋音楽の音階を「階段」だとすると(ド、から一段上がったところがド#で、もう1段あがるとレ)、南西アジア伝統音楽の音階は、限りなく「スロープ」に近く、ドからレまで、切れ目なくつながっている、ということに、なるらしいのである。いや、ワタクシが言ってるんじゃない、想さんが言ってる。
だからつまり、西洋音階のドから0.2上がった音、というのは、「out of tune」となるのだけれど、インド音階ではこれも「アリ(正当な音)」として、認められるということになる(!)。西洋音楽の1オクターブ13音のなかに、インド音階は無限大の音がある、ってことになるじゃあ、あ〜〜りませんか(!!)。だって、「線」なんだから。
この「階段」と「スロープ」の違い、0.2も0.6も、時には0.65をも、はっきり(耳で)認識するためのツール、これが「タンプーラ」だ、と、想さんは言う。タンプーラは演奏中、ずっと同じ音を出し続けているから(といっても複数弦楽器であるから、音階の違う複数の音が出ているのだが)、そこを基盤(ベース)にして、演者が出している音が、0.0なのか、0.2なのか、0.6なのか、0.65なのかを、「測る」というのだ。
演る側の言葉として想さんは、「タンプーラに自分の音をぶつける」という言い方をしていたが、内容は同じ事で、とにかく基礎となるタンプーラの音がなければ、南西アジア伝統音楽は成り立たない、ということなのだ。
南西アジア伝統音楽は、入門したらまず「声楽」をやる、というのは知識として知ってはいたが、このように説明して頂くと
すとん
と腑に落ちるものである。
そもそも個々人にとってもっとも個性的な楽器である「声」、これはお金もかからないし特別に作る必要もないし(いやモチロン奏者としての修行は厳しい、認められた奏者として演奏するためには「声を作る」ための途方もない修行が課される)、手軽といえば手軽なのだけれど、それ以上に、これは、南西アジア伝統音楽(疲れてきた)の「音階」の思想に、バッチリ当てはまる「楽器」なのである。バイオリンやビオラ等の、フレットのない弦楽器なら、西洋の楽器でありながらも0.2や0.65を出すことはできるけれども、たとえば、
「0から200まで、途切れることなく音を上げてみよ」
と言われると、弦から弦へ移る瞬間があるから、途切れることなく、は、不可能である。が、声なら(鍛えれば)、これが可能になるのだ。
でもって南西アジア伝統音楽はこうした「声」の長所も知り尽くしていて、
・レからドへ、鍵盤的に下りる歌い方(2段すっ飛んで下の音を出す)
・レからドへ、スロープ的に下りる歌い方(いわゆるポルタメントで下の音へ下げる)
・レからラにすとんと落としてからドへ、スロープ的に動く歌い方(これもポルタメント)
等々、さらにはレからラそしてド+0.2のような動き、等も、自在に操って演奏する(歌う)。
知らないワタクシは、この音階の動きだけを追って30年、
インド音楽って、神秘的だなあ
などとわかったつもりでいたのであるが、この動きのベースにタンプーラをしっかり据えて改めて聴いてみると、一定のタンプーラというキャンバスの上で動き回る「声楽」、この両方がしっかり混ざった途端に、
脳がとろける
のであります。マッサージされるのであります。
インド音楽のCDを持っていて、この感覚を味わったことがなかった、という方、CD持ってて良かったですね、ぜひお試し頂きたいと思う。
できれば裸足で、目を閉じて、鳴っているすべての音を同レベルで耳から脳に送ってみて頂けるとよろしいかと思う。シナプスが刺激されるというか、脳内でなにかが這い回るというか(!)、とても不思議な感覚を味わって頂ける・・・ハズなんだけど。
(つづく)