(つづき)

さてその上(まだあんのかいっっ?!)、今度はリズムの問題がある。「線」の音階、楽典というか文法的な「ラーガ」と来て、その上まだ、リズムがある、というのである。

しかもワタクシたちがよく知る、2拍子、だとか、4分の4拍子、だとかいった生やさしいものではない、インド音楽の代表的な拍子(ターラ)には、

16拍子 (は?)
12拍子 (あ、う、え゛?)
10拍子 (な・・・!え゛え゛?)
 7拍子 (・・・)
 6拍子 (知らん。もう、知らんけんね)

が、あるというのである。
ワルツのテンポの3拍子を小学校で習ったとき、先生が、

イチニッサン、イチニッサン・・・

とくり返していたのを記憶しているが、このインド音楽のターラ、単に16、とか、12、とかを数えるのではなく、
例えば、

16拍子=4+4+4+4

なのだそうである。だからまあ、イチニッサンシ、イチニッサンシ、を、4回くり返す、ということだ。

では12拍子は同じものを3回くり返す???と思いきや、

12拍子=2+2+2+2+2+2

なんだって、さ。どないやねん、それは(笑)?!4x3と2x6は、数学では同じでも音楽では全然ちゃうぞ?!

と、飛んで6拍子は、今度は、

 6拍子=3+3

おいおい・・・2、3、4、どれが基本やねん!ぜんぜんわからへんやないかいっっっ!!合わせられんのか、それで?合わせられんのかいっっっ??

・・・と思う間もなく追い打ちをかけるのが10拍子、

10拍子=2+3+2+3 (・・・疲)

で、聞いたこともない7拍子に至っては、

 7拍子=3+2+2 (・・・狂)

でもって、実際の演奏ではこれらターラを組み合わせたりもするらしく、6拍子と12拍子なんかは、まあまだ、6拍子を2回やれば12拍子1回に追いつくのでわかりやすく、ついて行けるのであるが、12拍子と16拍子を一緒にやったりも、するとかしないとか??

これだと数学の最小公倍数、48拍目で、ようやく2つのリズムが合致することになる(!!)。

恐ろしいことに観客もこうしたターラをキチンと知っていて、

「あ、こっちの楽器は12拍、あっちは16拍か、ってことは今、32、33、34だから、と、・・・46、47、来る来る、来るよ!」

ってな聴き方をしており、

「あ、ソレ、よんじゅうはちっっっ!」

ってとこで最大の音楽的カタルシスを感じる(らしい)。

パシュパティナートの裏のキラート音楽堂なんかに聴きに行っても、聴衆は先のラーガおよびこのターラを理解した上で聴いているようで、最初の頃は西洋音楽しか知らないワタクシ、

「ん?あれ・・?1、2、さ・・・アレ?1でしょ、2で・・・アレ、今度は3があるの?!アレ?・・2、アレ?」

と、リズムについて行けずにイマイチ楽しくなかったのであるが、分かっている演者や聴衆は、ある一定の間隔で(そう、48拍目だったり、42拍目だったり)、

・・・ダ、ドダ、ダンダン、だんっっ!(うをををおおおおぉぉぉぉ、パチパチパチパチ<歓声と拍手の音)

ってなブレークがあって、また、1拍目から始まる・・・これを、延々とくり返しているのである。

まことに、ガンジスの流れは悠久の流れ、神々の山嶺は、げに崇高なるかな、である・・・。

と、まあ、こうした楽典というのか理論というのか、想さんは「文法」という言い方をしていたが、これに則って演奏しているのだ、ということがわかりさえすれば、なんとまあ奥の深い、広がりの大きい音楽であることよ、と、違う視点で楽しむことができる。

音楽理論といい、宗教理論といい、料理に使うスパイスの融合といい、なんだかインド思想の根底が垣間見えるような気さえ、してくるではありませんか。

まあとにかく南西アジア伝統音楽(注1)、相手の理論に合わせてこちらの聴き方を正さなければならない、そういう聴き方を強要してくる、というあたりが、まあ、なんというのか、まぢで、南西アジア的である(笑)。


(終わり)


注1)
想さん曰く「インド古典音楽」というのは、西洋人研究家が名付けた「Indian Traditional Music」を直訳しただけのもので、この場合の「インド」は必ずしも行政国家としてのインドではなく、いわゆるインド大陸全体のインド、なのでまあ、「南西アジア伝統音楽」という表現の方が、より近い、ということであった。

実際に、インドだけでなく、スリランカもパキスタンも、ここネパールも、根底に流れている音楽思想や理論、使う楽器、修練の仕方等々、ほとんど変わらないとのことで、ところが名前に「インド」と入っちゃってるもんだから、「じゃあウチはネパール伝統音楽をやるけんね」ってなことが起こりがちだそうだ(中身は同じなのに)。

そういう呼称よりもなによりも、基本であるタンプーラ、これを使わなかったり無視したり、で、やってしまっている演奏家が増えているのが、一番の問題なのだとか???

日本の国技「相撲」ではないが、外国人の方がよりよく伝統を理解し、体現できる、ということなのかも、しれませんね。